計画を進めていくときに遭遇するさまざまな困難を乗り越えていくために、闘争心を持つことは大切だ。
闘争心というのは、ぶつける対象があって成立するが、その対象には「他人」「物事」「自分」がある。
まず「他人」に対する闘争心とは、スポーツが一番の良い例だ。
一対一で戦う柔道や剣道、また、レスリングというスポーツは、相手に勝たないとないとダメだから、相手(他人)に対して闘争心を持つ。
またサッカーやラグビーなどの団体競技も、複数の相手に対して闘争心を持つ。
スポーツ以外でも、仕事上での出世競争は「他人」が対象だ。
また会社で何人かの社員が同じ資格取得を目指せば、「あの人が受験するなら負けてはおれない。自分は必ず合格する」と「他人」に対して闘争心を持つ。
次に「物事」に対する闘争心というのは、山登りなどの個人スポーツや、資格に1人で挑戦するなどだ。
最近は、中高年の山登りが流行っていて、「日本100名山」に登ることに闘争心を燃やしている人がいる。
資格への挑戦では、「中小企業診断士の資格を取る」「技術士の資格を取る」などで、その試験に合格するための知識や技術をマスターできるかどうか、すなわち知識や技術との戦いだ。
もちろん、ほとんどの国家資格では、合格者数がある程度決められているから、その人数の中に入るためには、受験者との戦いという表現もできるが、直接的に人と戦うわけではなく、直接の相手はやはりその資格の知識や技能になる。
さらに「自分」に対する闘争心というのは、自分が決めた目標を達成するためにさまざまな行動をしていくときに、幾多の困難を乗り越えるために叱咤激励する「自分」に対して燃やすものだ。
その決めた目標が、スポーツで勝つことや資格を取得することであるとすれば、「他人」に対する闘争心や「物事」に対する闘争心というのは、最終的には「自分」に対する闘争心ということになる。
たとえば、スポーツで勝とうとする場合には、いろいろなトレーニングを長期間する必要があり、また資格取得では試験科目の勉強が必要だ。
そのトレーニングや勉強をするためには時間を捻出し、またやりたくない時にも何とか自分を元気付けてやらなければならない。
こうして考えると、結局のところすべて「自分」に対する闘争心になる。
自分が立てた目標を達成するために、「自分」に対して闘争心を持って進んでいく、これは闘争心の持ち方として一番理想的かもしれない。
しかしながら、「他人」に対する闘争心や「物事」に対する闘争心というものも行動の大きな動機付けになり、困難に打ち勝つ源であることは確かだ。
だから、できるだけ「闘争心」を持つことが目標達成の極意であると考えている。