物事には、すべて「表」と「裏」がある。
「表」と「裏」というのは、ひとつの物事について正反対の一対の現象があるということだ。
たとえば明るさについては、「明るい」に対して「暗い」という正反対の一対の現象があり、身体の調子については、「健康」に対して「病気」がある。
またスポーツでは、「上手」に対して「下手」というようにだ。
そして、この正反対の一対の現象というのは、そのどちらが正しくてどちらが正しくない、また、どちらが良いとか悪いということではない。
その場面、その状況で、考え方や解釈の仕方が変わってくる。
たとえば、明るさについて「明るい」と「暗い」を考えてみると、本を読むときは明るい方が見やすくて良いが、寝るときは暗い方が寝やすい。
そして、音楽を聴いたり人と話をしたりしてくつろいでいるときは、明る過ぎず暗すぎず、どちらかといえば、少し暗めの方がその場の雰囲気には適しているのではないだろうか。
また、「健康」と「病気」という身体の調子についても同じことが言える。
われわれは、健康であるから日々の仕事に打ち込んだり、遊びに一生懸命になることが出来る。
健康でない身体であれば、同じように行動してもその成果は少なくなるし、また、楽しさも少ない。
このような意味では、健康な身体というのはぜひとも必要だ。
しかし、病気を知らない身体というのはどうだろうか。
病気を知らないために、また、病気にならないために、身体の不具合を感じることができず、極限まで身体を使ってしまうことがある。
そうするとどうなるだろうか。
健康だと思って行動しているのに実際は不健康であって、身体が弱りきってしまい、最後には死に至ることにもなる。
このように、病気があるから、身体の疲れや不調を感じるとことが出来き、身体を休める。
健康であるとか病気であるということは正反対の一対の現象だが、「生きる」といった観点から考えるとどちらも必要だ。
だから、健康な時に思い切り仕事をしたり遊んだりする一方、病気ということを考えて身体をいたわることが大切だ。
また、物事に「上手」であるとか、「下手」であることについても同じです。
もし、すべてのことが「上手」だったらどうだろうか。
もちろん、そんなことはないが、「将棋をしたらすぐにプロ級になる」、「スキーをしたらすぐにウエーデルンができる」、「ゴルフをしたらすぐにシングルになる」というような人がいるとすれば、その人は何をやっても面白くないだろう。
なかなか上手になれないことがあるから、一生懸命に本を読んだり練習をしたりして、その上達を楽しむことが出来ると思う。
また、すべてのことが「下手」であるというような人もいない。
「スポーツは下手でも、音楽の才能が優れている」、「勉強は苦手だが、人と話すのは得意だとか、絵を描くのは上手である」といったことがある。
さらに、仕事についても同じです。
仕事が「上手くいく」ことがある反面、「失敗する」こともあるが、この両方が必要で大事なことだ。
仕事が上手くいくときに、人は自信を持つ。
「自分の行ってきた努力が実った。また、自分のやっていることが正しい」というような気持ちなり、さらに大きく伸びようという心境になる。
しかしながら、お山の大将や天狗になってしまうことも確かだ。
だから、仕事がうまくいかない、失敗することも必要なのだ。
仕事が思うように進まないときに、「なぜ、上手くいかないのか」と反省をすることができ、より一層、仕事力をパワーアップすることができる。
また、調子が良いときは、人の気持ちを理解することが出来ない。
しかし、自分の調子が悪くなって、初めて人の気持ちが理解出来ることもあり、人間的に成長する。
このような、物事についての正反対で一対の現象に対して、さまざまな見方や考え方があることを、私は「表裏一体の法則」と言っている。
この法則で、いろいろな物事の事実や価値観を考えると、すべての面において自分にプラスになる考え方が出来る。
そうして、自分の置かれた現況を、自分にとってプラスになるように考えることは、自分を成長させていく上で、また人生を楽しむ上で非常に大切なことと考えている。